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(´・ω・`)であります。
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(´・ω・`)首相です。


カカオ99%のチョコを食べると、口の中に紙のような味が広がるのであります。
しかしほのかな、たとえるなら砂糖の結晶1つ分くらいの甘みをも舌の上に感じられるのは、脳内麻薬の故でありましょうか。ともかく、なかなか減らないのでリーズナブルであります。


本日はカカオのお話ではありません。
「最大多数が生きるため」という私の改革の原点についてのお話であります。(´・ω・`)


私は申し上げました、改革は最大多数が生きるために行われるべきであると。
ではこの、最大多数とは一体誰なのか。皆様、疑問に思われたことと推測いたします。


私が申し上げる「最大多数」とは、私を選んでくださった皆様、有権者の方々が主体となることは明白であります。
それらの人々をないがしろにするのであれば、私は彼らを裏切ったことになります。
また、私は日本国の首相(予定)でありますので、日本国民の皆様のご期待に沿えるよう邁進するのは責務であると考えております。


ここで問題がございます。
日本に住まれております人々の中には、日本国籍をお持ちでない方々もおられます。
例を申し上げるなら、在日朝鮮人の方々が主にそれにあたります。


日本国民とは、明確に定義するなら日本の国籍を持つ方々であります。
例えば日本国籍をお持ちでないアメリカ人が日本に住まわれているとします。定義から申し上げますと、日本国民ではございません。アメリカの国籍をお持ちであれば、それは「日本で暮らすアメリカ国民」と表現するのが筋であります。


しかし、私は思うのであります。
では私は、「日本で暮らすアメリカ国民」の方々に対し責任を負うところは一切ないのかと。


皆様、どうぞお考えください。
例えば皆様がアメリカへ旅行に行かれたとしましょう。そこでテロリストに拉致され、危害を加えられたとします。そのときアメリカの大統領が「アメリカ国民ではないので、助ける義務とかないぽ」と言ったとすれば、いかがでしょうか。


私は考えるのであります。
私は日本国民のみならず、日本にいらっしゃる全ての人々のために身を粉にし尽くす責務があるのではないかと。
ですので、私の申し上げる最大多数とは、「日本に存在する全ての人々」という意味であります。


しかし、私が今ここに立つのは、日本国民の方々の総意によるものであります。
ですから、何事においても優先順位として日本国民を最優先に考える。これは筋として、至極当然ではないかと思うのであります。


日本の国籍をお持ちでなく、日本に永住されている、またはされる予定のある方々全てに、私は申し上げたい。
どうぞ日本国籍を取得なさってください、私は喜んで、あなたのために尽力いたします、と。


ただし、原点は「最大多数が生きるため」であります。
それを阻害する人々は、日本国民でないなら言うに及ばず、たとえ日本国民であろうと容赦なく報復・処罰いたします。


現在の民主主義における権力とは、まさにそのためにあると私は考えているのであります。(´・ω・`)


私はここに、改めて申し上げます。


私は、日本国民および日本に住んでいらっしゃる全ての方々が生きてゆくために、粉骨砕身努力いたします。
また、嘘偽りなく申し上げるなら、優先順位の問題上後回しにされる課題もあるでしょう。しかし、それは放棄ではなく、後に解決すべく常に留意してゆくことをお約束いたします。


私は、日本国の首相(予定)、(´・ω・`)であります。

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(´・ω・`)首相です。


現在の日本は改革が急務である。これは皆様周知のことだと確信しております。
これまでも様々な改革が行われてきました。経済にしろ、教育にしろ、外交にしろ、いろんな改革が行われてきましたが、しかし皆様が満足いく結果というものが見えてこない。これはなぜか。


死が前提にないからであります。


文明社会というのは、いわば死からいかに逃れるかという英知の結集であります。
昔、人間は木の上や洞窟に住み、猛獣の牙を恐れながら暮らしておりました。平均寿命などは今とは比べるべくもありません、カゼで死ななくなったのは、一体いつからでありましょうか。


そうして、常々死と隣り合わせの生活をしながら、いかにこの恐怖から逃れるか、いかに命を永らえるかに腐心した結果、人類は今日の繁栄を築き上げたわけであります。
つまり現代社会とは、死を見据えない社会であります。(´・ω・`)


しかし、死を見失ったことにより、命の意味が失われたのはまこと皮肉と申せましょうか。
「どうして人を殺してはいけないの?」と子供に聞かれ、まともに応えられる大人が一体世の中に何人おりますでしょうか。そうして、尋ねられてはたと気付くのであります、どうしてなのだろうか、と。


遺族が悲しむから。法に違反するから。
そのように必死になって、その答えを考える人々は忘れております。
この質問が発せられること自体が異常なのだということを。


人を殺してはいけない。
例えばキリスト教においては、人はみな神により作られた物であるので、神の許可なく他人を殺すのは神に逆らうことになります。では許可が下りればよろしいのかといえば、それは十字軍による殺戮の歴史が雄弁に語っているとおりであります。


では日本ではどうなのか。中国では、韓国では、アメリカでは、インドでは、ブラジルでは、一体人は殺してはいけないのか、許可が下りれば殺してもいいものなのか、許可は一体誰が出すのか。


ノリです。ノリがあれば、空気があれば殺してもいいんです。(´・ω・`)


そしてそれを実践すれば、人間社会は崩壊します。
人が死から逃れるために築いた世界の中で、人が人を殺す。これがいかに馬鹿らしいことか、いかに矛盾したことか。
おかしいでしょう?そういうことが横行すれば、社会など無意味になるわけです。


おわかりでしょうか、現在の我々が、いかに死に対して不感症になっているのか。
死を見失ったなら、生の意味が見失われる。すると社会の意味が失われ、規律が崩壊する。
人間の営み全ての根源は生きるために、死なないためにあるのに、それがわからない。考えられない。


これでは、改革もうまくいくはずがありません。(´・ω・`)


私の改革は、まず意識の改革から行います。
全ては最大多数が生きるために行うのである、ということ。その目的にそぐわないものは徹底的に排除する、ということ。そして人々が、やがて平等に迎える死を安らかにすべく、最大限の努力を払う、ということ。


これが私の改革の原点であります。(´・ω・`)

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