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(´・ω・`)首相です。


本日は、私の中にございます「偏見」について所信を述べたいと思います。


ありていに申し上げます。私は朝鮮人と中国人が大嫌いであります。
しかしさらに申し上げますと、私は朝鮮人や中国人と話をするときには嫌悪を微塵も出しません。


二面性と揶揄する向きもあるでしょう。
しかし私の中では、これは一貫した論理によるものでございます。


皆様、お考えになってください。
杉林の中に、松が一本生えていたとしましょう。これを松林と呼ぶのは愚の骨頂であることは皆様、容易にご理解いただけるかと存じます。
しかし、杉林の中にあるからといって、松を杉と呼ぶこともまた同様に、愚か極まることでございましょう。


杉林の中には、杉のみではなくいろいろな種が生息しております。
杉同士ですら細かな違いがある以上、個別に見るならまさに種々雑多な命を見出すことができましょう。
しかし、それを遠めに見るなら、やはりそれは「杉林」と総称すべきでありましょう。


私は、総体としての朝鮮民族・中華民族が大嫌いであります。
虫唾が走るとでも申しましょうか、朝鮮民族の排他性・非論理・自己愛や、中華民族の傲慢さ・プライド・計算高さがとても嫌いであります。


しかし、それが全ての彼ら民族の民に当てはまるわけではない。
ゆえに私は、個々と接する時はその「偏見」を取り去り、相手の底を見ようといたします。


「偏見はいけない」と思い込んでいる日本国民の皆様。
私は申し上げます、「偏見はいい」のであります。
総体としてのいろいろな国々の情勢・性向を把握しておき、「偏見」として頭に入れておくことはとても役に立つはずであります。
そうすれば、日本にいるノリで海外でも振る舞い、危険な目にあう国民も必ずや減るはずであります。


皆様、どうぞお考えください。
日本ほど教育の行き届いた民族はまだ世界に少ないのであります。
多くは教育が行きとどいておらず、ゆえに相手は異国人であるあなたを「偏見」で見ているのであります。


「偏見」とは、精神的な防具でもあります。
偏見を抱いた人間とは、言い換えるなら容易には崩し難い自我を有する人間とも言えるのであります。
偏見による精神的防御は、時に皆様を精神的被害から救い得るのであります。


偏見なき人間とは無防備な人間でもあります。
無防備な人間は容易に自我に傷を負いやすく、それが返って無用なほどの「偏見」の元になるのであります。
であるなら、最初から「偏見」で防御しておく方がどれほどよろしいか。


私は思うのであります。
これまでの教育による「偏見の排除」は、人々を丸裸にするだけでありました。
丸裸になり、当たり前ながら傷ついた人々にもさらに「偏見は良くない」とゴリ押しをして、それが逆に異常なほどの攻撃性の顕在化をもたらしたのではないかと思うのであります。


私はここに提案したい。
そうではなく、これからは「偏見を利用する」という教育を行うべきであると。
己の中にある「偏見」を明確に認識し、自在に操るような教育を行うべきであると。


それでこそ我々は、真に「偏見からの脱却」を図ることができるのであります。


そして私は、それを率先して行っている開拓者なのであります。(´・ω・`)
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