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(´・ω・`)首相です。
現在の日本は改革が急務である。これは皆様周知のことだと確信しております。
これまでも様々な改革が行われてきました。経済にしろ、教育にしろ、外交にしろ、いろんな改革が行われてきましたが、しかし皆様が満足いく結果というものが見えてこない。これはなぜか。
死が前提にないからであります。
文明社会というのは、いわば死からいかに逃れるかという英知の結集であります。
昔、人間は木の上や洞窟に住み、猛獣の牙を恐れながら暮らしておりました。平均寿命などは今とは比べるべくもありません、カゼで死ななくなったのは、一体いつからでありましょうか。
そうして、常々死と隣り合わせの生活をしながら、いかにこの恐怖から逃れるか、いかに命を永らえるかに腐心した結果、人類は今日の繁栄を築き上げたわけであります。
つまり現代社会とは、死を見据えない社会であります。(´・ω・`)
しかし、死を見失ったことにより、命の意味が失われたのはまこと皮肉と申せましょうか。
「どうして人を殺してはいけないの?」と子供に聞かれ、まともに応えられる大人が一体世の中に何人おりますでしょうか。そうして、尋ねられてはたと気付くのであります、どうしてなのだろうか、と。
遺族が悲しむから。法に違反するから。
そのように必死になって、その答えを考える人々は忘れております。
この質問が発せられること自体が異常なのだということを。
人を殺してはいけない。
例えばキリスト教においては、人はみな神により作られた物であるので、神の許可なく他人を殺すのは神に逆らうことになります。では許可が下りればよろしいのかといえば、それは十字軍による殺戮の歴史が雄弁に語っているとおりであります。
では日本ではどうなのか。中国では、韓国では、アメリカでは、インドでは、ブラジルでは、一体人は殺してはいけないのか、許可が下りれば殺してもいいものなのか、許可は一体誰が出すのか。
ノリです。ノリがあれば、空気があれば殺してもいいんです。(´・ω・`)
そしてそれを実践すれば、人間社会は崩壊します。
人が死から逃れるために築いた世界の中で、人が人を殺す。これがいかに馬鹿らしいことか、いかに矛盾したことか。
おかしいでしょう?そういうことが横行すれば、社会など無意味になるわけです。
おわかりでしょうか、現在の我々が、いかに死に対して不感症になっているのか。
死を見失ったなら、生の意味が見失われる。すると社会の意味が失われ、規律が崩壊する。
人間の営み全ての根源は生きるために、死なないためにあるのに、それがわからない。考えられない。
これでは、改革もうまくいくはずがありません。(´・ω・`)
私の改革は、まず意識の改革から行います。
全ては最大多数が生きるために行うのである、ということ。その目的にそぐわないものは徹底的に排除する、ということ。そして人々が、やがて平等に迎える死を安らかにすべく、最大限の努力を払う、ということ。
これが私の改革の原点であります。(´・ω・`)